東京近郊に住んでいた頃、私は一時期、近所にあった塾で開かれていた【タイム・ディベート】
というのに参加していた時期があります。


塾で年間契約で働いていたアメリカ人の英語教師が一人いて、その人がひまな土曜日の午後に、
教室をひとつ開放して安い会費でこのサークルが運営されていました。おもにタイム誌のカバー・
ストーリーを事前に読み、6−7人くらい集まって、ディベートというより、英語でディスカッションすると
いうものでした。時間があれば、カバーストーリー以外の記事にも話が移り、話題は多岐に及びました。

余談になりますが、アメリカ人教師は今は故人ですが、見るからにゲイで、世界情勢などどうでも良い
ひとでした。したがって、討論の交通整理やインテリジェントなコメントを期待できるひとではありませんでした。
それで、しばしば話の内容が混乱したり、時には自説にこだわる人がいて喧嘩のようになったりしました。

でも、このアメリカ人が
映画をこよなく愛していたので、なんとなく私も映画にも興味を抱くようになりました。
アメリカ出張時に、映画に関する分厚い本を何冊も買って帰ったり、ビデオ屋で頻繁に洋画を借りて観る
ようにもなりました。私に別の興味を持たせてくれた点に関しては、今でもとても感謝しています。

話を本題に戻しますが、この【タイム・ディベート】で行っていた方法が、コミュニケーション力をつける
のに、とても役立つことを、だいぶ後になって知りました。ここでやっていた方法とは、毎週タイム誌を
受け取るたびに次の開催日までの間に最低でも数ページは精読する必要がありましたので、まず毎週
かならず英語に触れるようになったことです。サラリーマンだったため、家ではなかなか時間がつくれず、
おもに通勤電車の中がこの事前準備時間になりました。

タイム誌の文字は電車の中で読むには小さくて、このときに近視がかなり進行してしまったのも事実です。
それでコピーマシンでB4サイズに拡大して使いました。大きいと余白も多く、難しい単語の訳や、コメントが
書きやすいという利点もありました。タイム誌、なかでも
カバーストーリーは高度な文章記述がしてあり、
タイム・ディベート】のアメリカ人も『こんな単語は見たこともない』と時々つぶやいていました。もっとも、
教養レベルが高い人だったら違うのでしょうけど。

話し合いを盛り上げるために、まもなく記事の英文だけでなく関連する知識を事前に得ておこうと思う
ようになりました。時には
図書館で雑誌や本を調べてコピーしてくる場合もありました。また日々の新聞の
スクラップ
も作るようになり、国際情勢やこれは面白いと思った記事をたくさん切り抜いて保存しました。
テーマ別にホルダーを作っていたのですが、すぐにホルダーの数が70−80種類になりました。

こうして【タイム・ディベート】を2−3年も続けているうちに、いろんな話題についていけると思えるように
なっていました。私は一応アメリカの高校に通ったりしていましたので、英語で話すこと自体はまったく
苦にはなりませんでしたが、このときはじめて日常会話的な英語を話すことと、内容のあることを話し合う
ことの違いを知ったような気がします。

この会に入ってから5年ほどしてボストンに出張したとき、郊外の大駐車場でうっかり自分を【locked out】
してしまったことがあります。仕方ないので駐車場の係員にレスキュー会社を呼んでもらいました。到着する
まで1時間以上かかり、結果的にこの駐車場の係員とずーっと喋り続けることになりました。

この係員、実はボストン
大学で講師をしているというインテリで、講師の給料が少ないので、ここで
アルバイトをしているということが分かりました。それからは、レスキュー車が到着するまで、2人で延々と
話しつづけました。相手も日本からのビジネスマンと話できるのが珍しかったと見えて、次から次へと質問
攻めにされました。日本の話をしていたかと思うと、それがあっという間にアメリカで状況に移り、さらには
ヨーロッパでは、南米では・・・などという話になりました。さらには、話がパッと飛んで、『そもそも、
と呼ばれているものは何なのかね・・仏教とは違うの?』、『"Haiku"でわびという言葉を聞いたことが
あるが・・・』などと彼が日ごろ疑問に思っていたことが矢継ぎ早に飛び出してきました。

事情を知らない人が横から聞いていたら、まるでお互いに自分の言いたいことを早口で次から次へと
まくしたてていると感じたかも知れません。でも、私たちにとっては、それはとても印象に残る、楽しい
会話でした。

ちなみに、それからしばらくの間、ボストンに出張するたびに、この人と再会して話し合う機会が
もてました。